ロック界最後の革命、グランジ。
ロックの歴史で最大の出来事といえば、 ビートルズの世界制覇、ローリング・ストーンズのデビュー、 ボブ・ディランによる"ライク・ア・ローリング・ストーン"、 ロンドン・パンク・ムーブメントの到来、 そして、ニルヴァーナの"ネヴァーマインド"がマイケル・ジャクソンの アルバムをけり落として全米1位を獲得したことだ。
マッチョな男根主義ハード・ロック勢を奈落の底に突き落としたのが グランジ・ロック。コアなロック・ファンにとって ニルヴァーナの出現は「ロックンロールを救ってくれてありがとう」だった。
ロンドン・パンクが成功しなかったアメリカの音楽シーンにとっては グランジ勢の登場は衝撃的であった。 そのため、一瞬にして音楽シーンは風変わりしていった。 また、ロンドン・パンクを知っているイギリス人にも大いに受け入れられ、 ヨーロッパのチャートも支配した。
ニルヴァーナやパール・ジャムなど グランジ・バンドの大半はシアトル出身だった。そのためグランジ・ムーブメント が訪れると一躍シアトルは世界一ホットな都市と化した。
アメリカでは20年近くロック・シーンの主役はハード・ロックだった。 だが、グランジの登場によってハード・ロック・シーンは ようやく終わりを告げ、グランジ、そしてオルタナティヴへと 新たなロック・シーンが始まっていった。



ソニック・ユースや R.E.M.などのインディー・ロックがメインストリームで流行し始めた80年代末期のアメリカでは、 両親の離婚、経済不況、社会状況の悪化などによってアメリカ全体が 重い雰囲気に包まれていた。そして、91年初頭の湾岸戦争の開始によって アメリカ社会の不安定は決定的となる。 そんな中、80年代に一世を風靡したニュー・ロマンティックのような 音楽は誰もが聞かなくなり、ド派手なスタイルのハード・ロック・バンドも徐々に飽きられていった。
80年代後半のシアトルには独自のパンク・バンド、メルヴィンズがいた。 アバディーンという不気味な街出身のこのバンドはシアトル周辺で人気を博し、 様々なバンドに影響を与えた。カート・コバーンにも多大な影響を与え、 カートも同じくアバディーン出身だった。
80年代後半のシアトルのロック・キッズにとってのヒーローは マッドハニーであった。マーク・アーム率いるパンク色の強いこのバンドは グランジ・ロックの核であり、シアトルの音楽シーンの象徴だった。
他にもシアトルからパンクの要素を詰め込んだバンドが現れていった。 サウンド・ガーデン、グリーン・リヴァー、 そして、ニルヴァーナだ。 また、ヘヴィ・メタルだが後にグランジとなるアリス・イン・チェインズや ハード・ロック的志向の強いパール・ジャムも活動を始めていく。
シアトル以外からは過激な女性バンドのL7、コートニー・ラヴ率いる ホール、最高のグランジ精神を持つダイナソーJr、 後にオルタナ最大のバンドとなるスマッシング・パンプキンズ 、ストーン・テンプル・パイロッツなど グランジに分類されることになるバンドが多く現れていった。
そして、92年1月に90年代最大の音楽革命が起こる。 91年9月にリリースされたニルヴァーナのアルバム"ネヴァーマインド"が シングル"スメルズ・ライク・ティーン・スピリット"のラジオやMTVでのヒットと共に 徐々に順位を上げていき、ついに92年1月に全米1位を獲得した。 そして、アルバム"ネヴァーマインド"は 爆発的大ヒットを記録し、"スメルズ・ライク・ティーン・スピリット"は時代のアンセムと化した。 パンク、ハードコア、キャッチーといった要素が詰められたこの"ネヴァーマインド"が全米1位を 獲得したことは衝撃的だった。 それまでハード・ロックしか聞かなかったキッズ達は一気に グランジ・ロックに夢中になり、 まだ売れていない多くの長髪メタル・バンド達が服装とサウンドを変え、 LAからシアトルに引っ越していった。
”グランジ”とはどういう意味か、どういう人間を指すのか。 答えは様々だが「週末は家で過ごすもの」、「考えを二転三転させる」、 「クールじゃない人」、「古くて破れたジーンズ」、「残酷な経験」、 「酔っ払い」、「仲間の誰かが裏切ってメジャー契約すること」などだ。
"ネヴァーマインド"の大ヒットと共に、様々なバンドがブレイクしていき、 グランジ・ムーブメントが訪れた。それまでのハード・ロック勢は人気低下に 陥るが、グランジ勢に対して敵対することなく、リスペクトを繰り返した。 そういったハード・ロック勢のラヴ・コールにグランジ勢は吐き気を催した。
グランジ・ロック・バンドは様々な名作を世に送り出した。 マッドハニーのアルバム"マッドハニー"、グリーン・リヴァーのアルバム"リハブ・ドール"、 ダイナソーJr.のアルバム"グリーン・マインド"、アリス・イン・チェインズの アルバム"ダート"、L7のアルバム"ブリックス・アー・ヘヴィー"、 ストーン・テンプル・パイロッツのアルバム"コア"、パール・ジャムのアルバム"Vs"、 ニルヴァーナのアルバム"イン・ユーテロ"、 スマッシング・パンプキンズのアルバム"パイシーズ・イスカリオット"、 サウンド・ガーデンのアルバム"スーパーアンノウン"、 ホールのアルバム"リヴ・スルー・ジズ"などだ。
莫大なセールスを記録してもほとんどのグランジ・バンドは インディー精神をもっているため、ロック・スターになることを毛嫌いした。 商業主義ではないことはグランジの最大の魅力であり、パンク・スピリットを 継承している証拠だった。
その後、ニルヴァーナとパール・ジャムは”世界一のロック・バンド”と言う
グランジ・ロックにとってはくだらない肩書きをもらい、世界中のトップ・チャートに
自分たちの曲を送り込んだ。
また、グランジ前はインディーズのものだったオルタナティヴ・ロックもグランジ・ムーブメントに
乗っかる形で流行し始める。
ハード・ロック勢に象徴されるロックの男根主義世界を否定したところも グランジの特徴的なところだった。 グランジ・バンドは歌詞に「ヘイ・ベイビー」といった単語は使わず、 グルーピーをとらないバンドが多くいた。 ニルヴァーナの反レイプ・ソング"レイプ・ミー"は素晴らしい フェミニスト・ソングだ。
アメリカ中のありとあらゆる町にはカート・コバーンのファッションを真似た キッズ達が現れ、着古したネルシャツやボロボロのカーディガン、 穴あきジーンズといったストリート・ファッションが流行した。
ドラッグの充満もグランジとは切っても切れない関係だった。 特にレイン・ステイリー、カート・コートニー夫妻はヘロイン使用者であり、 レインとカートはヘロインにどっぷり浸かっていた。
グランジ・ムーブメントの全盛は92年の初頭から94年の半ばまでの2年半であり、 その間に音楽シーンは激変した。そして、94年4月5日のカート・コバーンの死と共に グランジ・ブームは衰退していった。